2009年07月17日

[8/27 慶応] WHOのスマナ・バルア医務官による日本語での講演

(以下転送です)----------------------------------------------

「人間として人間のお世話をすること  〜金持ちより心持ち〜」

WHOのスマナ・バルア医務官による日本語での講演ご案内

この度、NPO健康医療開発機構、NPO日中産学官交流機構、NPOものづくり生命文
明機構
、星槎グループは、WHO南東アジア地域事務所医務官スマナ・バルアさんの講演
会「人
間として人間のお世話をすること 〜金持ちより心持ち〜」を共同開催いたします。
スマナ・バルア博士(五十四歳)は過去三十数年にわたり、故郷バングラデシュ
の農村
地域で、また医学生として過ごしたフィリピン・レイテ島他の各地で、女性の健
康と出
産、そして寄生虫学に関する地道な研究支援活動に、継続的にとりくんできた医
師です

特にレイテ島に於ては、フィリピン国立大学医学部レイテ校に在籍しながら助産
士とし
て働き、村々を廻って二百十五人の子どもたちの出産を介助する診療活動に従事
しまし
た。外国人として初めて、大学所在地パロ市の名誉市民として表彰されています。
一九九三年、東京大学医学部大学院国際保健計画学教室に在籍してからの数年間
は、論
文執筆の傍ら日本各地(埼玉県、長野県、神奈川県等)で外国人労働者女性への
「医職
住」の生活支援活動に、医療ボランティアとしてとりくみました。彼が副代表を
勤める
NGOアイザックは、一九九五年タイ政府外務省から表彰を受けています。
研究者としては、国連機関 WHOのコンサルタントとしてアジア各地(インド
ネシア
、ミャンマー、ヴェトナム、ネパール、もちろんバングラデシュ)の現地を歩
き、農山
村で働く保健婦や助産婦への指導を通じて、村でのヘルスワーカーの育成にあ
たってい
ます。この点でプライマリー・ヘルス・ケアの実践者として、「母子保健」分野
と感染
症対策の現場で確かな足跡を残した、との評価を研究者仲間から得ています。
一九九九年、東京大学医学部より取得した博士号の論文テーマは「ミャンマーに
於ける
ハンセン氏病への対処プログラム」です。
今回の講演では「人間として人間をお世話すること〜金持ちより心持ち〜」と題
して医
療者の原点、人間としての医療者のあるべき姿について語ります。
ご多忙とは存じますが、万障お繰り合わせの上ご参加下さいますようご案内申し
上げま
す。
特に医学を志す若い方々のご参加をお待ちしております。

「人間として人間のお世話をすること  〜金持ちより心持ち〜」


日時: 2009年8月27日(木) 午後6時半〜8時
場所: 場所: 慶應義塾大学医学部(信濃町)東校舎講堂
     (http://www.sc.keio.ac.jp/campus.html ←キャンパスマップNo.24の建
物2階)
主催: NPO健康医療開発機構、NPO日中産学官交流機構、NPOものづくり生命文
明機構


参加ご希望の方は健康医療開発機構事務局(jimu@tr-networks.org)までご連絡
下さい

なお、特にお申し込み受付のご連絡はいたしませんが、会場の都合により定員に
達し次
第、
申し込みを締め切ることがございますので、その場合のみご連絡いたします。ご
了承く
ださい。


スマナ・バルア  (ニックネーム:バブ)

 スマナ・バルア 医師。医学博士。1955年バングラデシュ・チッタゴン生ま
れ。国立
ティトゥミール短期大学卒業後、76年に来日、働きながら日本語学校で学ぶ。79
年フィ
リピン国立大学レイテ校入学、助産士、看護士、医師の資格を階段状カリキュラ
ムで取
得。
89年から故郷の医科大学で教えながら地域医療に従事、地元NGOの保健医療コー
ディネ
ーターとしても活動。93年東京大学医学部大学院国際保健計画学教室に入学、各
地の医
学部や看護大学、小・中学校、国内外のNGOで講演活動を続け、96年3月に東京
大学医
学部にて修士号、99年3月に同学部にて医学博士号を取得。WHOのコンサルタン
ト、JIC
AのPHC研修コースアドバイザーなども務める。
マニラのWHO西太平洋地域事務所医務官を経て、現在、インドのWHO南東アジア地
域事務
所医務官。

(バルアさんの長年の友人であり、今般の講演会開催にご尽力頂きました、
健康医療開発機構のサブコミッティ「健康医療とお金についての検討会」メン
バー、 
佐久総合病院地域医療部 地域ケア科・色平哲郎(いろひら)医師よりのコメント)

バブさんはもしかすると、私たち日本人の日本語より上手な日本語を話すことが
できる
かも知れません。バブさんがきれいな日本語を話すことは勿論ですが、私がその
ように
感じるのは、私たちが失いつつある「日本人の魂」のようなもの、を私たち日本
人がバ
ブさんの話から無意識のうちに聞きとっているからなのかも知しれません。


参考資料: 
バブさんの講演 (仏教と医療)
 
長年にわたり、世界の数多くの宗教について詳細に観察する機会を得て、私は次
のこと
に気付かされ学ぶことがございました。それは、それら全ての宗教にわたって、
傷つき
悩める衆生への、同朋としての奉仕の心が重要である旨、教えの中でくりかえし
くりか
えし強調されている、という事実であります。
私はバングラデシュで二十四代続いた、歴史ある仏教徒の家に生まれました。子
どもの
頃から、叔父にあたる世代の高僧につき従うかたちで、地域的また世界各国での
国際的
な多宗教間の会議に出席する機会をもちました。このような会議は若い私にとっ
て、仏
教以外の諸宗教についても、直接に学ぶ機会となったわけです。
しかし本日は、世界の多様な諸宗教についてというより、日本仏教と患者ケアと
の関係
について、論点をしぼっておはなしいたしたく考えております。と申しますの
は、本日
の聴衆の方々が日本の方々であり、本論が日本語で話されるからです。
一九三六年のこと、世界的に有名な仏教哲学者、鈴木大拙師が京都で講演した
際、師は
日本人の生活や習慣に仏教伝来が与えた影響について、こう語っています。「も
し仏教
思想とその伝来とが日本文化に与えた歴史的意味づけを知りたければ、試みに宝
物殿と
御文庫を含めて国内のすべての仏教寺院を焼くなりして消し去ってみればよい。
こうし
た時日本の歴史に一体何が残るであろうか。先ず絵画と彫刻、また伝統的音楽と
演劇は
消えてしまう。次に芸術の発露たる派生的な諸芸――造園、借景、茶道、華道等、日本
的なるもの、はもちろん消失する。医療活動や湯治、薬草園とその運営の知恵を
含む今
日社会サービスとしてとらえられるであろう諸活動の全てが、その起源を七世紀
の初期
仏教徒らの活動におくのであろうと考えると、呆然とする思いである。」
今を去る六十余年前、大拙師により指摘されたこのような事実――近代化して変貌著し
い日本社会の根底に流れる宗教的価値の位置づけ、について私はこの場で特に訴
えたい
と感じています。
医師や看護婦、他の保健医療スタッフの人間集団――なかでも特に若い世代の方々に再
認識していただきたい。何故なら、医師や看護婦の役割というものは、単に患者
に注射
をしたり薬を与えたり、というものではないからです。技術的に解決し得るもの
を乗り
越えた「期待と要請」が常に伴っている、ということに考えを致してほしいのです。
一人の人間としての医療者が、他者としての病者の人間存在に対置し、面と向っ
て受け
とめてケアの責にあたる場面を考えてみます。これは本当の意味での患者ケアが
「全人
的アプローチ」を通じてはじめて到達し得るものであろうことに、気付かされる
契機と
なりましょう。
一方で仏教には、四つの昇華された原理に分類される「本当の智恵」(ブラー
マ・ビハ
ーラ)への到達を目指す、という教えがあります。四つの原理とは人間の道徳的
精神的
な基本条件をつくりあげる教えです。同時に、平安な気持と幸福な生活の根源と
してと
らえられている諸原理です。
四つの原理とは、中国語の「慈」「悲」「喜」「捨」にそれぞれ訳出されている
もので

(1) 「慈」愛しむ心(メッター)
これは、単に他人を助けたいという(欲求に伴う)善意、といわれるものよりも
ずっと
深く広いものです。同朋の福利のために自己犠牲をもいとわない態度であり、仏
典メッ
ター・スートラには「母の如く、自らの生命をもかえりみず子を愛し、守り育て
る態度
。この普遍的な愛の態度は人をして全宇宙への愛と理解へと導く。」と紹介して
ありま
す。
この原理は、単にお喋りをするための情感としてではなく、私たちが日々実践す
べき目
標として、医療者の眼前にそびえています。
(2) 「悲」共感する心(カルナ)
これは他者に奉仕の手をさしのべる際、その苦悩苦難に接して湧きおこる自己の
内的な
共感の心です。サービスの受け手(患者)の本当の苦悩を、正確にサービスの送
り手(
医療者)がとらまえ認識し得た時にのみ、この原理が実践可能でありましょう。
(3) 「喜」他者が幸せになることを、よろこびとしてとらえる心(ムディター)
苦悩への対応としてなされた奉仕の実践活動、その所産への満ち足りた心をさし
ます。
(4) 「捨」平静な心の落ちつき(ウッペカー)
全ての人間が本質的に公平に平等である、との達観に導かれる心です。各人の行
為とそ
の結末(カルマ)迄を、冷静に見つめつづける実践が含まれています。
以上掲げました四つのブラーマ・ビハーラの目標は、自分の中で深く考えて、
「光」を
みつけ、将来へのすばらしい道を見出すことにあります。
四原理はまた、それぞれ医師―患者関係の諸相にあてはめて説明することが可能
です。
医療者はその初期の教育課程にあって先ず、無私なる愛の態度(メッター)をは
ぐくむ
ことが必要です。何故なら彼や彼女は一生涯を通じて、何らの差別の心なく、病
者悩め
る者をケアする任にあたることになるからです。この「愛しむ心」の実践にあ
たっては
、他者の立場からの、苦悩への洞察力(カルナ)が欠かせないでありましょう。
そして
一旦この認識に達したならば、正確な診断と簡潔な処方、適切な手技をなす為に
医療者
が職業人として最善をつくす際の大きな力づけとなるにちがいありません。これ
は「共
感する心」の実践であります。患者が快方に向うとき、医療者はその途上によろ
こびを
共有することができます(ムディター)。もし不幸にして快方に向わない経過を
たどる
時も、内省的に心をつくすことができるでしょう(ウッペカー)。平静な落ちつ
きこそ
が、医療者の最高の心のもちようである、といわれるゆえんです。
私の叔父は自身で運営する孤児院で千数百人の孤児の世話をしていました。或る
日、中
学生であった私は叔父のところへ行って、「何の技術も持っていない若い自分で
はあり
ますが、何か人のためにお役に立ちたい。」と言ったのです。彼は私に三人の子
どもを
示しました。彼らの全身は疥癬におおわれていて、大変臭く、誰も彼らに触れた
がらな
い状況でした。「身体を洗ってあげなさい。自分の身体を洗うのと同じように丁
寧に洗
ってあげなさい。」これは私にとってチャレンジングな経験でした。子ども時代
のこの
体験は、後に私が医療者となるについての心の原点となっております。
智恵の光(パンナ)は仏陀の教えの、別の側面を示しています。これは世界をあ
るがま
まに、その本態に従って理解することを意味しています。Bodhisattvaがあらゆ
る方法
を使ってこの世の知識すべてを整理収集しようととりくんだ際、彼は自らの知識
をひけ
らかすところがありませんでした。自分が知らない分野がある、ということに恥
じ入る
ことなく、自分の知り得たものは「皆が自由に好きなように使ってよろしい。」
と言っ
て、率直にその知識や技術を人々に開示し授けたものです。この教えに従うなら
医師は
自らの知識や経験技術を他人に伝えまた施すにあたって、人間の本質を深く正し
く見き
わめてとりくむことが必要となりましょう。どの人もどの患者もそれぞれに異な
るので
あって、まさに「人を見て、法を説け。」という教えの実践となります。
ここで私は一九九四年四月、名古屋で開催された日本医学会総会に於けるいくつ
かの発
言について想い起こしました。会頭の飯島宗一教授は、「医学は永遠に未完成で
ある。
」「医療行為は、人格と人格の出会いの場でのできごとである。」「現代医学の
人間観
とは何か!」と発言しています。大江健三郎氏はその講演を次のように締めく
くってい
ました。「医師の方々が一堂に会している折角の機会であり、是非考えていただ
きたい
ことがある。我々の社会で、本当に人間らしい正義とはどういうことかというこ
とを、
医師の立場から皆さんが発言することを強く願っている。」
以上、現代医療に関する諸家の提言をふまえた上で再び鈴木大拙師の講演に戻り
たく考
えます。京都での講演の締めくくりに際し師は「供養」(プジャ)について語っ
ていま
す。もともとこの言葉は「畏敬の念、敬意、敬慕。」を意味していました。現在
では仏
教でも、精神的な先師への畏敬の念を、師へのささげもので表現しています。通
常これ
は物質的に何かを奉げるかたちをとります。「供養」とはまた、死せる者に対し
て食物
や香、花、ろうそく等を奉げることを意味します。読経他の宗教的行事に伴っ
て、この
世を去った霊魂に宗教的な慰めを与える儀式を意味するものとして、一般にはと
らえら
れています。
日本で、虫や筆や花に対してさえ供養(プジャ)がなされる習慣があることを知
ると、
この行為が仏教的文脈で、敬うべき対象に対するささげものとして行われている
ことが
分かります。そして日本人の心の奥深くに根づいている仏教的感性に気付かされ
るので
す。
例えば、画家の絵筆について。絵筆が人の手によって作られた、生命のない道具
にすぎ
ないことに疑問の余地はありません。魂のない物体にすぎません。しかし私たち
は知っ
ています。或る場面の画家の絵筆には、画家の腕の延長としての生命が与えられ
ていま
す。日本的文脈で考えるとき、画家はこの入魂の絵筆を使って自らの作品に魂を
こめる
ことができるのです。
大拙師の言説に基づいて考えるとき、現代の医療者は自らの聴診器やメス等の機
器につ
いてこう考えることができましょう。救いを求めて医療者の就を訪れる悩み苦し
む同朋
のために取り組む際、この手の中の機器が、心をこめてさしのべる救いの手、そ
の手の
延長たりうると。
御静聴ありがとうございました。
出典
1) Suzuki, D.; Buddhist Philosophy and its efforts on the life and thought
of the Japanese people; 1936; Kokusai Bunka Shinkokai, Kyoto, Japan.
2) Gard, R. A.; Buddhism; Prentice- Hall International; 1961, London.
3) Thera Piyadassi; The Buddha’s Ancient Path; 1964; Rider and company,
London
4) Thittila, Ashin: Essential Themes of Buddhist Lectures; 1992;
Department of Religious Affairs, Yangon, Myanmar (Burma).
posted by I-cuber at 12:52 | イベント
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